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映画喫茶 Bande à part バンドアパート

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

なぜ洋画の原題・タイトルはシンプルなのか?理由を考える。

さっそくですが『アナと雪の女王』の原題をご存じでしょうか?

 

答えは『frozen』です。

 

直訳すると凍った、とか冷蔵の、という意味で、形容詞の中の過去分詞ですよね。

 

『冷蔵の』なんてタイトルの映画があったら、ちょっとした違和感を抱きませんか?

またこんな形容詞だけのタイトルの邦画ってある?

あまりないよね。というかほとんど見ない気がする。

 

原題からは考えられないほど長い邦題をつけられたり大幅な改題が行われることは、映画の世界には多々あることです。

原題と邦題は大体が異なりますね。

邦題だけ知っていても、英語圏の方と映画作品の話を滞ることなく楽しむ、ということはなかなか難しかったりする。

 

言語が違うわけだから、当然作品のタイトルの付け方とかも変わってくるのです。

例えば、上記の『frozen』というタイトルの映画なんかいい例ですね。

 

そこで今回の記事のテーマなのですが。

英語と日本語って、なんとなく “単語” に対するアプローチの仕方が違うんじゃないのか?ということを僕は常々頭の隅に置いていました。

 

今回は以前から気になっていた、そんな言葉の用い方や捉え方について、例によって映画を題材に考えていきたいと思います。

 

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具体的に言葉の用い方といいましたが、主に考えるのは、英語と日本語の単語に対する価値観について。

言語学的な専門記事ではなく、あくまで考え方についてです。

ちょっと面白い試みというか考察ができればなぁと思います。

 

邦画と洋画のタイトル

僕が記事で取り上げたいのは、語感の違いというか言語に対する感覚的な相違。

これが大風呂敷を広げたような前置きならないよう、しっかりとした考察をすすめないと。

 

なんとなく、洋画の原題はシンプルで、邦画のタイトルは長いものが多い、という漠然としたイメージを僕は抱いていました。

さて、それが本当なのかどうか、ちょっと検証してみたいとおもいます。

 

洋画の原題はシンプルだ。

 

まず、洋画におけるタイトルって、とてもシンプルだったり単語のみのものが多いんですよね。

 

たとえば『The ~』とか、すごくシンプルなもの。

The Martian(火星人)』とか、これは邦題が『オデッセイ』ですね。

The Accountant(公認会計士)』とか、これは邦題が『ザ・コンサルタント』です。

他にも挙げれば

Bony and Cryde(ボニーとクライド)』は『俺たちに明日はない

『Moon』は『月に囚われた男』 
the Mummy』は『ハムナプトラ/失われた砂漠の都

fast five(速い5)』は『ワイルド・スピード』です。

フォレスト・ガンプのように、もう人名のみ、なんてこともあるよね。

 

やっぱり、原題凄くシンプル!

タイトルだけじゃなんだかよくわからんし。

 

それでは考察の方に移っていきたい。

その前に、まず大きな注意点があります。

それは、

・洋画は原題のものを考える

というものですね。当たり前と言えば当たり前だけど(笑)

手順として、洋画における原題と邦題と、洋画と邦画のタイトルについて考えていきたいと思います。

洋画における原題と邦題

上記で注意を促しましたが、それについても言及したい。

 

原題と邦題が大きく違う、というのはよくある話。

例えば先の『アナと雪の女王』だってそうです。

先日上映された『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』の原題はDemolitionだし

カールじいさんの空飛ぶ家』は『Up』です。

 

邦題の付け方がひどい!意味不明!なんて言われることもしばしばありますが、まあそれはどうでもいいんです。

だって、今回は言葉のニュアンスの違いを考える記事だし

それに邦題をつける際は必ず恣意的な意図が含まれている。

 

それは洋画版のポスターヴィジュアルが日本版だと大きく変わったりするのと同じだと思います。

www.e-aidem.com

だから今回はそのことについてはノータッチで!
 
邦画のタイトルについて

さて、少しづつ本題に移っていきます。

じゃあ、邦画のタイトルはシンプルじゃないのか?ということ。

作品を挙げだしたらキリがないし、意図的にピックアップすればそれこそいや邦画だってシンプルな作品もたくさんあるよ!ということになりかねないので、

まあそこは公平な検証を進めようとは思いますが……。

 

最近観た邦画を順にあげていくと

 

わたし出すわ』『地獄でなぜ悪い』『ラブ&ピース』

羅生門』『パッチギ!』『愛のむきだし

『ふがいない僕は空をみた』『嫌われ松子の一生

カラスの親指』『リアリズムの宿

『神童』『凶悪』『ミュージアム』

苦役列車』『東京難民』

 

こうやって挙げていくと、確かに洋画よりはタイトルが複雑なイメージです。

あれでも待って。

 

単語一つで終わるものって中々無いね、と思いきや、意外とある。

いやでも、そこまで複雑か?シンプルなものも多くない?

 

パターン化してみる

パターンとしては

【A が Bする】

【A の B】

みたいな構造が多いみたい。

抽象化するとなんだか見えてくるものがある、というのも、

構造からみれば、そこまで複雑ではなくない?という一つの到達点。

 

例えばなんだけど幾つかの作品を直訳すると

愛のむきだし』→『Love Exposure』

カラスの親指』→『Crow's Thumb』

七人の侍』→『Seven Samurais』

こうするとなんだかシンプルに見えるのは気のせいかな。

 

というか、英語で直訳するとシンプルに見える…。

 

洋画の原題は果たして本当にシンプルなのか

結論から言うと、意味だけで考えてみればそこまででもないのでは?

パターン化してみたけど、多分それは表記の問題かもしれない。

ということで僕が見出した結論はこちら。

 

例えば日本語って、カタカナやひらがな、漢字で構成されていて知らないうちに同じ様に認識しているけれど、同時にアルファベットだけ並んでいるものよりも少し複雑だな、と無意識に受け取っているのではないか、ということ。

→アルファベットだけ並んでいるよりも、シンプルには見えづらい。

 

もう一つは、助詞の存在。助詞があると少し複雑に見える。気がする。前置詞よりも。

→助詞はひらがなだし、接続の役割を果たすひらがなが漢字で挟まれていたりするとシンプルにはならない?

 

でねそれとまた別ですが思ったんですけど、

英語圏において “単語” に対するアプローチが日本語圏の人となんとなく異なる理由。

 

英単語ってかっこよくね?(笑)

 

『The Accountant』が、日本語だと『公認会計士』だよ。

『The Martin』が『火星人』だよ。

カタカナにすればまだ何とかだけど、漢字表記って意味が直接的すぎる気がする。

『frozen』もなんとなく、ここまできたらオシャレに見えてしまうし。

 

でも日本語だって美しいよ。

漱石の『こころ』とかさ。

周作の『沈黙』とかさ。

一概には言えないんだよなぁ……。

 

 

僕の中では、まあそんなことないのでは、という結論に至った理由をまとめる。

・シンプルな原題の映画を恣意的に選んでおり、そういったタイトルの映画ばかり英語圏であふれているわけではない。ただしその傾向はあるというのは確か。英単語かっけえ。

・助詞の存在が邦画タイトルを複雑に見せている(単語数を増やしている?)

・カタカナ、ひらがな、漢字の三要素

 

こんなところかな。

僕は英語は単語に対する信頼感が強いのかとか、なんだろう

単語に対する価値観が日本語とは少しズレてるのかな、とは常々思っていたんだ。

いいまとめ方がわからないので、今日はこんなところで。
さようなら。

読んでくれてどうもありがとうございました!

あなたの週末に贈る名作映画 今週観た良作を紹介。その6

こんばんは、井出崎です。

 

春ですね。

桜が散っていきます、散り際が一番きれいだなんてそんなキザなことは言いません、けれど葉桜がとても好きです。

身体が重くて動きたくなくなりますけどこれは季節のせいではありませんね、週末に映画でも観て一息ついて、来週もがんばりましょう。

 

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今週もいくつかの映画をピックアップして紹介していきたいと思います。

この企画は僕が今週観た映画の中で幾つかの作品を選んで紹介するというもの。

是非、映画のある週末を送っていただければなあと思います。

 

www.worksmovie.com

 

僕が今週観た映画

僕が今週観た映画をドーンと紹介。

何本観たのだろう。

 

今週は8本でした。

 

・チェイサー

『哭声/コクソン』のナ・ホンジン監督作。こりゃすげぇ。というのが第一の感想。

 

・ラブ&ピース

園子温監督作。なんだこれは(笑)

 

地獄でなぜ悪い

これも園子温監督作。完全に『愛のむきだし』の影響で彼の作品を観ています。

 

潜水服は蝶の夢を見る

これ凄くよかった。うん。

 

わたし出すわ

小雪主演作です。不思議な映画。何を出すかって、お金です。最初下ネタかと思った。

 

・の・ようなもの

上の『わたし出すわ』と同じ森田芳光監督作。途中で観るのを止めてしまった…

 

BAD BOYS

ウィル・スミスの出世作らしい。王道のアクションコメディって感じです。

 

娚の一生

これまたゆっくり時間が流れる映画だなぁ。観る人を選ぶぞ。俺は好きです。

 

何か気になる作品がございましたら、コメントでもなんでも詳細な質問等にも応えますのでお気軽にどうぞ。

今週はこの中から…何を選ぼうかな。

 

というわけで今週は『チェイサー』と『潜水服は蝶の夢を見る』で決まり。

 

『チェイサー』

この記事を読んでくれている人の中に、韓国映画に馴染み深い人という人はどれほどいるのだろう。

正直僕は色々な映画を観るまで、韓国の映画には興味すら抱いていなかった……

本当韓国の作品を観るようになったのも最近です。

 

でもこの作品は凄い、なんといっても見応えありすぎる!!!

まだ韓国の映画を観たことのないという人に是非お勧めしたい。

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概要

今年日本でも公開され、注目を集めた『哭声/コクソン』ナ・ホンジン監督作

実際に起きた連続殺人事件をベースにした物語で、殺人犯と元刑事の追跡劇を緊張感たっぷりに描き出した犯罪スリラー。

 

元刑事ジュンホが経営する風俗店から女たちが相次いで失踪を遂げたことを皮切りに、ジュンホは失踪した女たちを探し始める。ジュンホは犯人として青年のヨンミンをとらえるものの、彼はまた連続殺人犯容疑者としての疑いもかけられたのち、結局証拠不十分として釈放されるのだが…

みどころ

まず役者たちが良い味出しているんだよ…

殺人犯容疑にかけられるヨンミンは『お嬢さん』ハ・ジョンウ

彼良いね、とっても好きです。

主演のキム・ユンソクもなんか渋いけど少し間が抜けているというか、感じのいいオジサン。

ちなみに同監督作『哀しき獣』でもハ・ジョンウとキム・ユンソクが出ているよ!

 

内容について言及すると… 完成度がものすごく高いんです

 

緊張感がそこらじゅうに漂っていて、主人公の刑事が殺人容疑の青年を追い続けるシーンなんかまさに肉迫するようで、震えました。ここまですごいのかと。

二人が掴み合って殴り合うシーンなんかも本当に目が離せない。

推進力がすごくて、どんどん物語に引き込まれていきます。

韓国作品独特の気味の悪さ、退廃的な雰囲気が好きですねーーー!たまらん!!

 

個人的になんだけど、最近観た邦画の『ミュージアム』とかも同様のサスペンスなんだけどここまで差があるのかと思ってしまったよ…

 

とにかく、クセが強そうで韓国映画は…という食わず嫌いな人、もったいないです。

そんなひとにこそお勧めなので、是非観てほしいなぁ。

 

潜水服は蝶の夢を見る

 

もしも身体の自由を失ったら、どうなるんだろうかーーー

映像美が織りなすのは、胸に秘めた蝶のように自由で切ない言葉。

 

さて 『潜水服は蝶の夢を見る』です。

タイトルが好きなんだよね。文学的で。

というか、フランスのとある雑誌の編集長が手掛けた文学作品にまつわる実話を映画化したもので、原作通りのタイトルです。

すごく叙述的でフランス映画らしい。

 

ゆっくりと流れる時間がただ流れるだけじゃなくて身に染みるような実感を伴う。

上のチェイサーとは対照的な作風で、昼下がりの午後ゆっくりと観てほしい作品です。

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概要

ELLE誌の編集長として順調な人生を送っていたジャン=ドミニク・ボビーは、ある日脳梗塞によって倒れ、命は取り留めたものの、右目瞼以外の体の自由を失ってしまう。

本作は、彼が言語療法士の協力によって、右目瞼のみで綴った『潜水服は蝶の夢を見るができるまでの実話をベースに、彼の顛末を描く。

 

見どころ

というか、右瞼のみで本を書くって凄くないですか?

 

20万回もの瞬きで自分の半生を綴ったそうです。

どうに文字を綴ったかというと、まあネタバレにはならないと思いますので書いてしまいます。

 

それは、“フランス語における最も使われる頻度の高いアルファべ” を順にならべ、それを言語療法士が上から読んでいき、主人公のジャン=ドミニクは選びたいアルファべのところで瞬きをする、というかなりシンプルなコミュニケーション方法。

 

これであなた、本書けますか。

俺は無理だ。想像力も、何を綴っていいのかもわからない。

手で何かを書き留めるわけにもいかないから、全部頭の中で組み立てなくてはいけない。

たゆみない努力と時間を要しただろう。

それは作者だけでなく、受け取り手の言語療法士も同じだ。

それでも何かを伝えたいという思いで綴られた原作も、ぜひ手に取ってみたくなる。

 

また、そんな作品を巡ったく本作の本当の魅力はというとね。

とっても叙情的で、美しいんだよなぁ。

主人公はもう植物人間的な扱いで、身体を動かすこともできない。

僕は、生きるとは何だろうか、これで生きていると言えるのだろうかーーーそんな重たいテーマを押し付けられることなく、それでも何かを綴ることの大切さというか、素晴らしさを覚えた。

 

肉体に閉じ込められてしまう “ロックト・イン・シンドローム” という症状に陥った主人公は、不自由な状態を “潜水服” に例え、それでも自由に飛び回る “蝶” を夢見るのだ。

それが切なく、そして力強さを感じさせる。

 

主人公の周りの人々もとても愛に溢れた人たちだ。

なんだか胸の奥にジーンと響いてしまう作品。

 

さて、今回はこの2作品を紹介してみました。

参考になればいいなぁと思います。

是非映画のある週末をお過ごしください。

 

また興味の無い方は飛ばしていただいて結構なのですが、

アホほど紹介されている話題のアマゾンプライムで上記の作品を観ることができます、

1か月間の無料体験もやっているようなので、検討してみてはいかがでしょうか。

とてもお得ですよ。

 

 

それじゃあまた来週!

読んでくれてどうもありがとうございました。

 

 

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(C)Pathe Renn Production-France 3

「なぜ日本人は~なのか」「日本人は~」という言葉に弱い日本人へ。

「日本人は~だ」という言説が嫌いだ。

具体的に言うと、その中でも論拠・説得力を欠いた一般化が不快だ。

 

同様に「大学生はみんな遊びほうけているだけ」「男はみんなバカだ」「なぜ女はみんなバカなのか」という安易な集団の特徴づけが嫌いだ。

もっと言えば、某掲示板などで頻繁に交わされる「韓国人は~だ」みたいな議論のための議論も大嫌いだ。

 

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ある集団の特徴を一般化して語ることは、学問上でもそういった帰納法的なプロセスを用いて証明することにおいていえば全くありふれたものだろう。

だからそれ自体を否定するものではないし、嫌いだというのはあくまでも僕個人の思いだ。考えというか、感情的な部分によるものが大きい。

 

しかしながら、やはり「日本人は~だから」という、さもなにもかも悟った様な言葉には違和感を抱いてしまうし、あまり心地いいものではない。

 

違和感の正体はおそらくその特徴づけの手順だったり、その言葉を使う人間の環境、経歴、人間性からの判断に起因する。それが間違っているか正しいかは問わない。

だから当然のことだけど「日本人は~だ」と言われて納得するものもある。

 

ただ一つ言えるとすれば、積極的に社会活動に関わってはいるものの、僕が学生という社会経験を欠く身分のため、そのような言説に納得ができないというところは大いにありそうだが。

 

冒頭で銘打ったようなすべての「日本人は~だ」という定型文が嫌いだということではないということを、再度断っておきたい。

相対化され論拠に富んだ主張により問題提起されたものはむしろ学ばなければならない。

 

よく指摘される日本人の特徴をみてみる。

1、(留学先で)日本人は日本人としかつるまない

2、日本の大学生は勉強をしない

3、日本人は他人の目線をよく気にする

4、日本人は礼儀正しい

5、日本人は少数派を許さない(同調圧力帰属意識が強い)

6、日本人は出る杭を徹底的に打つ

7、日本人は働きすぎだ

8、日本の企業はクソだ

 

この中では指摘されたらドキッとするものも多いに含まれている。

 

ただ現代の日本人が全員このような特徴を有するかといえば、当然そんなこともないだろう(そんなことはみんなわかっているはずだろうが)。

 

確かに、3,5,6などはほとんど言っていることは同じで、またそれを根拠付ける例を挙げることは可能だ。

例えば、島国であること、移民の数、村社会、等々言えばそれを説得力を持たせ語ることができる。

経験に基づいた話でもなるほど、そういうこともあるのか、と首を振ってしまうかもしれない。

だが今の時代、全部が全部そうだと言う事は決して簡単なことではない。

 

社会に出れば、上記にあるような同調意識にさいなまれ、そのような経験を嫌というほど味わうのかもしれない。

けれども、根本的な構造はまだまだ手が加えられていないにせよ、日本の企業も変わってきているのでは?

日本の会社じゃなくて、あなたの会社がそうなのではないでしょうか。

(申し訳ないが企業や社会構造についてはほとんど知識がないのと同然なのでご容赦頂きたい、むしろ色々教えてほしい。恐ろしいことにこれを書いているのは学生なのです。)

 

どうしても、あなたは日本民族を定義できるだけの経験を積んだのか、また世界を見てきたのか、という思いが先行してしまう。

世界を見た人が語る言葉

僕は権威主義者ではない。

だが、やっぱり世界を見た人はそれを相対化して語るだけの多角的な価値判断をすることができる。

 

例えば1の「日本人は留学先でも日本人としかつるまない」という言葉は、実際に僕が渡米して3年弱経つ友人に言われたものだ。

そして2の「日本の大学生は勉強をしない」という言葉は、海外出張など頻繁に行う大学教授から言われたものだ。

 

もちろん、それをそのまま鵜呑みにすることは危険である。

しかし、自分が受けた不快な経験を日本という民族への当てつけるような主張よりは、明らかに説得力に富む

正しいかどうかというより、実直に受け止めることができるし、これじゃあきまへんな、と思いますね。

 

だけど留学先でも頑張っている人はいるんだよ!!

だから「日本人の留学生は日本人としかつるまずに、全員親の金で遊びに行っている」なんて思わないでほしい、ってことなんだ。

 

まとめ

例えば映画『アメリカンビューティー』を観て、へぇ、アメリカ人てみんなこんなんなんだね、と言えばほとんどのアメリカ人は顔をしかめるのでは?

映画『ティファニーで朝食を』を観たアメリカ人に「日本人って、みんな眼鏡で出っ歯なの?」と言われたら、笑って否定するものの、そんなわけねえだろ!と心の中で唱えるのでは?

 

アメリカが、映画『BIG』に出てくる自由奔放なおもちゃ会社のような企業であふれているんだと思ったら、それはちょっと違うと思う。

 

一般化はとても危険なことである。

女子大に通う女の子に「やっぱりみんな慶應生に持ち帰られてるの?」「パパとかいるんでしょ?」なんて言ったらビンタの一つでもくらいそうだ。

同様にクラブ通いやダンスサークルの女の子に「誰とでも寝るんだろ?」なんて言ってはいけないし、もちろん実際問題そんなことは決してない。知らないけど。

 

確かに傾向や特徴というものは、経験や数字から掴むことはできる。

しかしそれが全てではない。

 

論拠を欠き押しつけがましくも、『すべての日本人』という、物入れの様な狭く暗い枠組みに身勝手に押し込まれるのには、正直腹が立つ。

それこそ同調意識の賜物なのではないか。

 

「おまえそれ、『俺は他の人間とは違うんだから一緒にすんな!』って言いたいだけだろ?」

 

とか言われたら、正直何も言えません。

終わり。

拙文ですがありがとうございました。

 

 

「ミニマリスト」に対する疑問・デメリットは? それよりも「豪華一点主義」を。

ブログを始めてから頻繁に目にする「ミニマリスト」という言葉が気にかかっていた。

なんとなくの語感や「ミニマリスト」を謳うブロガーの記事などである程度の理解は得ているつもりではいたが、その実情を僕は掴めずにいた。

 

そこで少しだけ調べてみた。

今回は「ミニマリスト」な暮らしと、僕が代わりに提示したい「豪華一点主義」な暮らしの話をしたいと思います。

 

ミニマリストの実情をすべて把握したわけでもないし、それを自分で実践したわけでもないが、僕が思うミニマリストへの疑問やデメリットを主観的に書いてみる。

多分に主観が含まれているし、それを全体的に否定するつもりはないので悪しからず。

というか後述するけれど、自分もそういう生き方については理解があるし、そういう側面があるから、内省的に語っていきたいと思う。

 

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ミニマリスト」とは

ミニマムな暮らしとは「無駄」を失くし最小限主義を掲げた究極の省エネな暮らしだそう。つまり、不必要なものは持たない暮らし。

 

具体的に例をあげてみると、

 

・布団の処分→寝袋生活

・一日一食

・食事は作り置いたもの

・水筒暮らし

・使わずにいる日用品、不要な雑貨等の処分

・読まなくなった本の処分

・無駄な時間の削除

・無駄な人間関係を切り捨てる

・過去の栄光を捨てる

 

等らしい。

なるほど、見えてきたぞ。

僕の頭の中にはいま、凄く殺風景な部屋が浮かんでいる。「シンプリスト」とは似て非なるものらしく、それは“小綺麗にまとまっている部屋”というよりは、最早まとめる必要のないくらいの断捨離に次ぐ断捨離だ。

 

街へ出かける時はスタイリッシュに、無駄なものは持たない。

財布だけとか?スマホとクレジットカード?

 

うん、それはいいね。僕も大体外に出る時はスマホと財布だけだ。

さて、以上でみてきたように、以上の定義から、ミニマリストとは、無駄を排した究極の合理化。

好き嫌いではなく、合理化です。

面白いね、時代の変化は。

 

でもね、スピッツも言っているよ、無駄なことほどしすぎるといいんだ、って。

 

凄く言い考え方だとおもう。けれど、一筋の疑念が払拭できずにいる。

無駄なことってなんだろう

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たしかにストレスフリーな生活というイメージは強い!それはとってもいい事だと思います。

 

でも、無駄って何だろう。

 

僕も好きじゃない友達とは出歩かないし、無益な飲み会には顔を出さない省エネ人間、合理主義的な人間なのでそういう側面はある。

 

ただ、無駄かどうかっていう事だけで物事の価値を測ろうとするとなにもかもが無駄な気がしてしまうのでは?あまり人間らしい暮らしとは思えないなぁ。

 

仕事をする上でもそういう人間との共生は必要となるよね。

 

自分にとって嫌いな人間でも得を生む人間になれば話は別か。

いやむしろ、好きか嫌いかなんて関係ない、損か得かが重要で、

合理化ってそういうことだよね?

 

例えば好きな友達と一緒にいる構図についてもこうです。

 

好き

→だから友達と一緒にいるのではなく

 

好き

一緒にいると得をする

→だから友達と一緒にいる

 

という一つ余分なプロセスが入り込んでくる。いつしか、損得の勘定をすることでしか人の価値を測れなくなるのではないか?それじゃ、好きな人と飲み行くメリットは?価値は?

僕らが存在している意味は??? 

 

本当に価値があるかどうかなんてわからないし、無駄=好き嫌いで判断しうるものだとしたら、それはずいぶん都合のいい考えだ。

 

 

というか自分がそういう傾向にあるから、それってちょっと寂しい暮らし方だなと内省的に、そういう考えを抱いてしまいます。

 

合理化は楽だけど、残ったものはあまりにも殺風景な人間関係かもしれない。

 

というか、ミニマムな暮らしってそういう事でしょ?そこまでやらずにミニマリストって謳っていいのかな?

 

そうじゃなくちゃファッションミニマリストなのでは…?

というのが僕がミニマリストとは何か調べてみた感想です。

すいません、めっちゃ牙向けてますね、そんなつもりじゃないのです。

ミニマリストに完璧なミニマムな生活を求めすぎているのかもしれない………。

 

豪華一点主義のこと

じゃあ僕が提示する豪華一点主義とはなにか。

これは寺山修司の言葉を発端とするものである。

興味がある人は、寺山修司著『書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)』を参考にされたい。

 

豪華一点主義とは

日当たりの悪い独身アパートで、ゴキブリが這いまわっている四畳半に住んでいる男がマイカーにアルファ・ロメオとかマセラッティといったものを持っている。

(中略)

これは、いわば「身分相応」という観念への挑戦である

 

寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』より)

 

例えるならそう、

毎日風呂の隅にたまった垢を舐めるような生活を送る代わりに、一カ月に一回、石原さとみとの逢瀬が叶う

 

例えるならそう、

人間関係全てを切り捨てる代償に、有村架純との同棲生活が叶う。

 

これって超自分勝手な生き方だ。

好きなことはする、でもそれは嫌なこともすることと引き換えに、だ。

 

ちょっと行きたいけど色々な飲み会を断る(代償)

→彼女と超豪華なイタリアンで食事(対価)

 

みたいな要領。

これ、ミニマリストが求めている者でもあるんじゃないか??

 

毎日の生活を切り詰めるというのは、ミニマムな暮らしと通づるものがある。

だけど、目標が明確に設定されている、というのは大きな違いかも。

好き嫌いに明確な線引きをする、これも本当のミニマリストとの違いかも。

 

毎日残業続きで嫌いな仕事をする、対価として手に入れたお金で自分の好きなことをする。これも豪華一点主義。

手段ではなく、結果に重きを置く。

なんて素晴らしい生活だろうかと思います。

まとめ

ミニマリスト=その生活自体に価値を置く

豪華一点主義者=代償と共に得た結果に価値を置く

 

というのが大きな違いかもしれない。

もちろんミニマリストも結果=ストレスフリー、合理的な暮らしを求めるものかもしれないが、直接対価に結び付くという印象は薄い。

それよりも、ミニマムな暮らしを好むから、ミニマムな暮らしを送る(合理化を図る)ということかな。

 

僕はミニマリスト、好きだし尊敬しています。

でも本当にそれはミニマムな暮らしを送っていると言えるのか?と疑問を抱くことが多いし、そんな簡単に手を出せる分野ではないのじゃないかな、というのが純粋な感想。

 

それよりも豪華一点主義、もっと良いと思います

 

寺山修司のこれ、名著です。

とってもいいこと言っているので是非。