足が絡まっても、踊り続ける

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なぜ人は性について語りたがるのか? SNSと性の関係を考える。

こんばんは。結婚したい井出崎です。

 

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去年くらいに世を騒がせた “暇な女子大生” はもはや死語なのだろうか?

私は全く興味が無かったのだが、自身の周辺ではトレンドとして扱われており、中々の世相を表していた。

一昔前だったら、考えられないような性の発信であったはずだ。

特に女性が性的な発言をすることは珍しい事ではなくなり、異性関係などを披露することでそれがバッシングだけでなく、しばしば好感や共感を生み出すことも散見される。

以上を発端に、以前よりも強く、性がもはやアンダーグラウンドという話題群から完全に逸脱し、衣食住と同じ分野で扱われようとしているのではないか、と考える。

 

もちろん、以前から個人が性的欲求をメディア上に発信することはあり得なかったわけではない。

しかしそれから、SNSを媒体として自身の性的価値観を不特定多数に発信するのが珍しくなくなった、という意味ではとても大きな変遷であるのではないだろうか。

今回はインターネットにおける個人による性の発信について、危うい分野ではあるが踏み込んでみたい。

なぜ人は性について語りたがるのか?

主観的な見解ではあるが、自己の性について発信する個人が増えているように思える。

もしかしたら、彼らの発信力が強まっている、と言い換えた方が正しいのかもしれないが、とにかく男女問わずまた匿名に限らず、某SNSでは性についての投稿を頻繁に目にするようになった

童貞いじりを受け、童貞が狂う、というような構図にも見覚えがあり、それはつまり性についての価値観を世に発信する人々が増えたということだ。

いや、そのようなプラットフォームが整備されたと言った方がいいのだろうか。

なんにせよ、私は徒に性的な価値観で人々を惑わせるような人間を文化人とは呼びたくないな、と思うのだが。

 

とりあえず、何故人はインターネット上で性を語りたがるのか、3点の理由を挙げてみたいと思う。

性はありふれた話題

性は、やはりありふれた話題だ。

3大欲求とはよく言ったもので、食・睡眠と同様に、性とは普遍的なテーマなのである。

恋愛映画や恋愛漫画、そして恋愛系のブログや指南本が尽きないのも同じ理由で、我々は誰だって恋をするように、自己の性と向き合っている。

だから難しいところなのだが、今回のテーマを鑑みると、やはり性についての普遍的な理解が始まっているのではないかと思う。

その理由としてはSNSの登場とセットで考えられる。

SNSが登場し、匿名による性的な価値観の発信、および受容の余波を受け、普遍性への理解が強まった、と簡単に言うとこんな感じではないだろうか。

 

しかし、性を扱うことが、タブーとして扱われてきたことを私たちは知っている。

私の少年時代を思い返してもそうなのだが、性とは禁止事項であり、何も知らないことが美徳とされた。

性が抑圧された時代

よくある言説のうちの一つが「性には抑圧された時代があったから」というものだ。

私は概ね同意する。

確かに、我々の人生を考えた時、性を感じさせることが恥ずかしい事だと思いながらあった時期があるはずだ。

それは、ありふれた普遍的テーマでありながら、人々の深いところで根を張り、簡単には触れられない奥の奥に、隠されているものだからだ。

特に女性は、自身の性的な欲求を発信することが恥ずかしいことであると自覚させられる機会が多かったのではないか?

男として生まれ育った私の個人的な意見では、少なくとも女性より男性の方が性について語ることが許されていたようにも思える。

その抑圧から免れた時、人々は性について語る自由を得る。

ちなみに、内田樹曰く「フーコーはそのような言説にいら立ちを覚えた」らしいが、そこらへんは難しくてよく理解できなかった・・・。

 

とにかく、以上を踏まえ、SNSの登場である。

SNSという自己を発信することができる場が整備された

加えて

・性という話題における普遍性の理解

これらが、性についての抑圧を軽減し、発信力を高める一助になったと考える。

性というアイデンティティ

僕の友人は、性的欲求からではなく、女性経験を積み相対的な価値を自己に見出したいからという理由で女遊びを続けている、と素直に認めた。

確かに、経験人数とは一つの指標である。

身長や偏差値などと同様、数で比べることができる。

数で比べることができるようになるとどうなるかというと、優劣をつけることができるようになる

具体的な数を言わずとも、自分の経験談や抽象的な価値観により、それとなく性的経験の豊富さを伝えることも可能だ。

つまり、性とは武器になりうるのだ

そしてその武器は、以前よりも強力になった。

なぜなら、発信力が強まったからだ。

これは、自身の恋愛観を広く発信したがってしまう心理と同じかもしれないし、自分もそのような感覚を多少なりとも覚えがある。

結論

以上から、何故インターネット上で性について語りたがる人が増えたのかという結論を導き出せるのではないか。

 

前提:性はアイデンティティであり、武器にもなりうる

 

自己を発信することができる場の整備

→性の普遍性についての理解

 

これらを考えるとインターネット上で自己としての性を語りたがる人が増えたのは何となく納得が行く。

しかしながら、性とは強力な武器であり、陽と陰の側面があることを忘れてはならない。

人々の深いところに根差しているがために、乱用は禁物だと考える。

個人的には、個人の発信力が強まり誰でもアイドルになれる時代において、最低限のマナーが必要であるのではないかと思うのだが。

性を語るうえで、人を不快にさせるような言動は慎むべき。

特に、顔や本名を晒し、影響力の強い方々については。