足が絡まっても、踊り続ける

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

バンドを組もう、と彼女は

高校時代、地元に居た頃からの音楽仲間だった子に、わたし歌うからギター弾いてよ、と言われた。彼女となら面白そうだと思い頷いた。彼女が歌って、俺がギター。果たしてこれをバンドというべきなのかわからないが、ユニットというのもなんだか不思議な感じなので敢えてバンドと呼ぶことにした。

 

f:id:works_movie:20180131114349j:plain

 

俺は中学生の頃から真面目に曲作ったりしていたのだが、結局バンドという形態で自分の楽曲を完成させるためには、自分をやり通さなければならず、他人にそれを強制しなくてはならなかった。楽器を持って間もなく、年端の行かない中高生に、一つの曲を俺の思い通りに完成させろなんて言ってもうまくゆくはずがなかった。そして、それを強要するくらいには俺も幼かった。それでも曲を書き続けた。そして、仲間にそれなりの精度を求めた。

 

作曲したものを形にする上で、少しでも折れれば、さっきまでの威勢はどうしたのかと仲間に見限られ、懲りずに煮詰め続ければ、不快な時間を強いているようで、なんだかいたたまれない気持ちになった。

フロントに立つ人間は、仲間の存在、そして彼らから信頼を得るための絶対的な才能が必要だった。必ずしも演奏能力や作曲の才能だけではなく。俺にはフロントにたち、仲間たちを震えたたす才能がなかった。それだけのことだ。

 

大学に入り、バンドは辞めるつもりだった。

弾き語りでライブに出るようになった。

もちろん自分で作った曲で、だ。

思いのほか反響を得た。

友達なんか、俺の曲を毎日聴いてくれたらしく俺よりも俺の楽曲に詳しかった。

それでも歌いたいことは何もなかった。

曲にしたいメロディーもなかった。

ただ、承認欲求を満たすため、他人からの評価を得るためだけに歌っていた。

だから音楽がつまらなくなっていった。

 

自分の想いを形にすることに、久しぶりに人を巻き込むことになる。懐かしい気持ちもあり、既に高揚感を隠し切れない。

しかし、それを強いなくてはならない怖さもある。

どうなることやら。