足が絡まっても、踊り続ける

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

君がいたあの夏の日に

僕に生まれて初めてできた恋人の話をしようと思う。

 

あれは僕が大学1年生で、鈴虫がまだ泣き始めない夏頃だった。彼女は二つ上で、サークルの先輩だった。大学生活の右も左もわからず、とにかく調子づくことが仕事でありながら人付き合いが苦手だった僕のどこが良かったのか、今となってはわからないが、僕もそれなりに「サークルの先輩」という存在に憧れて止まないような幼さを隠し持っていた頃の話だ。

 

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彼女の話をしよう。彼女は、年上であるという事にプライドを持つことを結び付けたがった。典型的な「年上の女」というやつだ。僕がなにか不都合をみせると、彼女は「まだ若いから」と、それを僕が年下であることに起因させたがった。そのくせ、不思議と僕が年下であることを願っているようだった。どうしても覆せない上下関係という関係を求めていたのかもしれない。

 

そしてしきりに昔の男の話をしたがった。彼女は常に強くあろうと願ったが、僕の前では弱さをみせ、その弱さが、幼い僕を何度も傷つけた。時には大人ぶった彼女の態度が気に入らなかったが、好きにさせておいた。彼女のことを心から好いていたから。僕は、図らずも典型的な「年下の男」であることに徹していたのだ。

 

付き合って3か月が過ぎた。彼女と会うときはだいたい僕の家で、取り留めのない話をして、セックスをして、ただぼーっとしては眠りにつき、彼女の横で目覚める、ただ普通の男女の形だった。

 

気づけば暦の上では夏も終わり、蝉も泣くのを止めた。ひと眠りから覚めた僕らは、ベッドの上で夕日を眺めた。「そろそろ夏も終わるね」なんて彼女は陳腐な情景を前に、陳腐なセリフを口にした。けれど、どれだけこの状況が陳腐であっても、どれだけ僕が大人になっても、当時の僕らにとってその時間は完ぺきで、完ぺきな空間で、完ぺきなただ普通の男女だった。

 

「蝉の声はまだやみそうにないよ」と僕が切ない表情の彼女に返すと、打って変わり、楽しそうな表情を浮かべ、「ばかね、これは蝉じゃなくて、鈴虫の声よ」と彼女は得意げに言った。

 

ほらでた。典型的な年上の女だ。けれど、こういう時の彼女が感じさせる、いかにも年上の女っぽは、僕を幸福にさせ、だから僕も彼女を年上の女にさせた。わざとバカなことを言って彼女を得意げにさせた時の、年上の女であろうとする時の、この彼女の表情は優しくて、その優しい気持ちに触れるこの時間は、何事にも代えがたかった。

 

「来年の夏の終わりもこうやって一緒にいるのかな」と彼女は言った。そうだといい、と呟いたが、奇妙な別れの予感はこの時から始まっていたのかもしれない。

 

僕は一人暮らしを始めてから、この部屋でいろいろな初めてを味わった。それはどれもが甘美で、ここから何かが始まるような気持になっては、何も変わらないような気持になった。

 

自分だけの世界に誰かが出入りしては、またいつかは静かになる。一人暮らしとは、そういうものだ。