足が絡まっても、踊り続ける

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

もしも文学がこの世に無かったら

僕は今頃死んでいたかもしれない。それとも、全くつまらない別の人生を歩んでいたかもしれない。許されているという実感がないまま、いや、そもそも自分の生き方について幾何の実質的な疑問のみ抱いて、生きていたかもしれない。

 

元々多読というわけではなく、気に入った小説をペラペラめくるだけだった。だから読書好きというわけでもなく、かといって人並み以上には小説は読む。そこにあるのは、本を読む目的ではなく、現実と違う理想の世界を手探りに浸るための手段なのかもしれない。

 

小説を批評する気も分析する気もなく、ただ好きだから求める時に手に取る。活字中毒と言えば中毒かもしれないが、これはただ便利な言葉だ。しかしその行為が僕の人生を変えたことに違いはなく、文学が無ければ「死んでいた」青年たち共通の悩みであるのではないかと思う。

 

文学が無ければ、もっと楽に生きていたかもしれない。それがない人々が楽に生きているかというと批判を食らいそうだが、きっとそうに違いない。今生きている現実と、虚空の上に線で紡がれたようなツンとする冷たさを帯びたような、そんな地に足がつかない物語の世界には大きな隔たりがある。しかし、それが時に交わることで、僕は余計にわからなくなる。今生きているこの世界はなんなのだろうかと。

 

文学に浸った時に、この行方のない思いを共有したいと思うことは罪なのだろうか。ただ一つ断言できるとすれば、この想いを共有することができないのなら、誰かといられないと思ってしまうのは間違いなく罪だ。早々に断ち切るべきである。

 

それでも、いつかこのやり場のない、誰かから理解されたいという願いが叶うことを胸に、淡い期待を抱きながら生きている。