足が絡まっても、踊り続ける

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

僕が「あなたゲイでしょ」と言われ憤った話と偏見を生む理由について

あるレストランでアルバイトをしていた時の話。

 

夜も更け、間もなく日付が変わりそうな時間帯に中年男性二人が来店した。そこそこフランクな人たちで、席を案内すると彼らは感謝の旨を僕に伝えた。サービス業をする上で一人の人間として扱われたことに、また店内もそこそこ空いていて退屈していたタイミングだったために、僕は彼らに多少の好感を抱いた。彼らは生ビールを注文し、それ以降お酒のペースはかなりゆっくりで、ちょいちょい料理をつまみながら楽しそうに雑談を交わしていた。

 

いたって普通のお客様。のはずが、多少の違和感を覚えた。話し方、というか、距離感の詰め方、に対してである。

 

「新人さん?」一方の男性に急に呼び止められた。「いえ、もう一年ほど勤めています」と伝えると、急に手を触られた。びっくりした目で彼を見ると「あなたゲイでしょ」と言われた。「いえ、違います」と思わず笑いながら僕は言う。彼は「うそー、絶対そっち系だよ」というようなことを口にした。

 

そのテーブルを対応するたび、そのようなやり取りが何度か続いた。さすがに嫌気がさした。閉店間際、店長に先に上がっていいと言われ、帰りの準備をし、カウンターで賄いを食べた。店長に「さっきの卓の人はよく来るのか」と訊ねた。

 

店長は「よく来るよ。彼らはカップルなんだけど。そういえば仕切りに、あの子(僕のことだ)ゲイなの?と訊かれた」と答えた。

 

僕はカチンときた。ゲイだと言われたことについてではない。さすがにマナー違反だと感じたからだ。僕は確かに顔立ちが中性的な方で声も高く雰囲気も柔らかい。ゲイだとかホモっぽいだとか言われたことがないわけでもない。ましてや彼らに対しても理解あるつもりだった。だから余計に、なんだか裏切られた気分になった。

 

そして同時に感じたのは、こういう体験から、偏見が生まれるのではないか、ということ。

 

人々が抱く、典型的な同性愛者像というものがある。それは特に映画の世界で象徴されることが多く、所謂「オカマ」という奴だ。視聴者の中にはあれこそが同性愛者なのだという印象を与え、そこから偏った見方が刷り込まれてしまうこともある。

 

一つの具体的体験から抽象的なイメージが先行してしまうという例は多々ある。中国人は粗暴で韓国人は反日だとかがそれだ。

 

今回の場合で言えば、もちろん全員が全員そうではなく、むしろそのような言動を常とする人の方が少ないと思うのだが、「同性愛者、あるいはオカマらしさ」というようなイメージが先行し、「マイノリティをよりマイノリティたらしめている」ように感じる。自分が同性愛だと告白しづらい環境というのは、そのようなイメージの先行、そして偏見が既に生まれていることにあるのではないだろうか。

 

今回の経験を通して感じたことは、マナー違反は悪目立ちし、集団の中のイメージを時に形作ってしまう場合があるという事。皆が皆そうではないに違いない。しかし、僕が何も知らなければ、同性愛者の方々に不快感を催し、全員そうなのだと周りの人間に吹聴してしまっていたかもしれない。もしかしたら僕が偏見をつくる一端を担っていたかもしれないのだ。

 

確かにはた迷惑な話であるし、もし日本人が海外でマナー違反を犯し日本人は全員あんなやつばかりだなんて言われたら悲しい気持ちになる。どうしたらいいのだろう。