足が絡まっても、踊り続ける

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

Q. 高学歴は大手企業に就職できないと死ぬ? A.死にます

 そこそこ良い大学に居るとそこそこ良い企業に入らなくてはいけないというしょうもない思考が生まれるのだけれど、これは仕方のない事だ。周りは優秀な学生が多く就職の実績も誇り高きものであるし、優良企業に入社するための切符は得た。ここまでお膳立てされているんだから大手でバリバリキャリアを積み重ねるべきであるということが共通認識としてある。

 

 本当にくだらないことだけれど、それくらいでしか自分の立ち位置を確認する指標はないわけで、就職先とはつまりこれから何十年間も自分を表す本人証明書だ。大手に入社したからと言って幸せになれるという保証はもちろんない。だがどんな選択肢を選んだところで不確定要素はそこら中に蔓延っているのだから、今持っているカードを最大限に活用したいと考えることは決して間違いではない。

 

 

 

 自分が納得できる生き方?出来たらいいよね……と、以上のように大手病にとりつかれたことを合理化して語ってみたが、結局は人前に立った時に見栄を張って自分を安心させ、あわよくば金が欲しいだけなのだ。本当にそんなつまらん生き方でイイの?いや良くないけど…やはりここで死ぬほどの想いで入学時に得たカードを捨てるのはもったいないでしょう?生きたい様な人生を生きられるほど都合いい選択肢は都合よく転がっちゃいねえんです。だからまだ何となく幸せそうな選択肢を選ぶんだよ。どんなに尖っていても社会に依存して生きているわけだから、一匹狼貫いて生きていけるほどのヴァイタリティがあるやつばかりではない、そしてこれは甘えではない。

 

 

要約すると、好き勝手に生きたいけどさぁ、そうやって生きるのは、なんか~超大変な気がするじゃん?ということです。

 

 

 ちなみに僕は非常に入りたかったメディア系の会社にも祈られまくってる。「在りたい自分」というものを何となく掴めそうになったはいいものの、どうにもならんことを押し付けられるという現象が社会には往々にしてあるのだ、ということをクソ程学んだ。

 

 

 

 もし僕に学歴が無かったら、なんてつまらない話をさせてもらうと、まず美術学校に入って絵をかいてデザインの勉強やらして自分にしかできない作品を世に生み出しまくるよ。でもそれが評価されるとは限らないし毎日冷や飯を食っていたかもしれないし、あるいは(これは今とも異なったことではないが)良くわからない女とセックスするためだけに生きていたかもしれない。怠惰で刹那的な盲目的日常、それも結構である。翻ってうまくデザインの世界で生きていたとしても給与はたかが知れているし超多忙だろう。

 

 

 どんな生き方だってできるかもしれない。けれど、それが言えるのは想像しているうちだけだ。選択肢は次々に死んでいく。僕らは常に様々な対立する想いを抱いていて、なんだか落ち込む日もあれば、外に出たくて仕方ない日もあり、それは様々な人格を抱えていているようなものだ。

 

 

 一つのあり方について、正解だったと思う時もあれば失敗したと思う時もある、だから何もかも知ったかのような顔で大げさに説教するのはやめてくれ。今を生きるだけでも必死なのだから。

 

 

 でも就活大失敗した時のことを考えた時の方が、ちょっとわくわくするんだよね。なんでだろう。