足が絡まっても、踊り続ける

映画家になるまでの記録。映画、読書、喫茶店。

【一人旅ルポ】大都会の条件と、なぜ人は東京に固執するのか

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夜が更け始める神戸でタクシーを拾った。

初老の男性が、路上に車を止め煙草を吸っていた。彼と目が合い、乗せてくれますか、と私が言うと、彼は吸い始めのタバコを消し、私を快く乗せてくれた。

車体に揺られながら、今まで縁もゆかりもなかった地を眺めていた。すると、運転手が「お客さん、どこから」と訊いた。なぜ他から来たことを知っているのかと考えながら「東京からです」と私は答える。奇妙な間があく。

彼は何かを思い出す様な素振りで、「私も東京にいたことがあってね。山手線からはどの駅に降りても同じような景色だった」と言う。私は「神戸は違いますか」と訊ねる。

ああ、違うよ。東京に比べたら何もないかもしれない。けれど、東京に無いものが確かにある…。

東京に無いもの———この旅の目的の一つが、東京に無いものを探すためだったということを強く思い出した。

旅先で様々な人と出会った。
誰もがその地に根を張り、その場所で生きているという実感を、確かに抱いていた。

神戸の地酒屋では、店主が六甲の水の素晴らしさを私に説きながら、様々な日本酒の試飲をさせてくれた。私が東京から来たというと、彼の言葉により一層力が入った。その言い方はなるほど、東京には無いものを与えたいという、あくまでポジティブな想いが見え隠れした。

一本の日本酒を購入し、帰り際に店主に「また神戸に遊びおいで」と声をかけられた。

伊勢神宮前のメインストリートであるおかげ横丁は、日が暮れ始める頃にそのほとんどの店が閉まり始める。その中で如何にも年季の入った、地本民が好みそうな居酒屋に入った。

無口ではあるが、優しそうな雰囲気を漂わせる店主が暇そうな面持ちでタバコを吸っていた。ぼちぼち地元民が出入りしては、店主に声をかけていく。店主が彼らに対して特に取り合う様子は無かったのだが、彼らはこの場所を非常に好いているようだったし、なにより壁一面を覆う色紙が店主への感謝を語っていた。

私も店主と言葉を交わすことはなかったが、帰り際に「またこっち来たら寄ってな」と声をかけられた。

私は東京に対し、特に思い入れが無い。東京は、巨大すぎて、実態が掴めないからだ。私にとって確かなのは「都会がわからない」ということだけなのだ。

人が集まっては消えていく———それは場所も職業も流行も、この街では同じことなのかもしれない。きわめて流動的なこの大都会でむしろどのように根を張ればいいというのだろうか。

それでも私は東京に固執している。決して好きなはずはなく、むしろ嫌いな要素の方が多いのに、である。

 

例の運転手のことを思い出す。
神戸で過ごした最後の夜、私はあの運転手に訊いたのだ。

「どうして東京に人が集まるのでしょうか」

少し考えこんだ後、彼は「それは首都だからさ」と答えた。

その答えはありふれたものであるかもしれない。

首都だから———そう、首都だから東京には人が集まるし、物も職も情報も溢れかえるのだ。

自分が東京に居たことを、初めて強く実感した。
それと同時に、自分が東京に来た時のことを思い出した。

「何かが変わるかもしれない。何かが見つかるかもしれない」

そのような淡い期待を東京に対して抱いていたのは、ここが首都であり、人が集まり、物、職、情報が溢れかえっているからなのだ。

けれども東京に来たというだけでそんな日常が転がって来るはずもなく、何もしなければ怠惰な日々が待っているだけだ、ということを、私は痛いほど知っている。

「何か起こりそうで、何も起こらない。けれども、何かをしようと思えば、何でもできる」

それが、大都会の条件なのかもしれない。